エネルギー量の多い人になる

エネルギー量の多さの重要性を、実感する機会が増えた。

ここで言うエネルギー量とは、「フットワークの軽さ」「変化を即座に受け入れるしなやかさ」「行動量の多さ」の総称として用いている。

 

人間は常に欲求を「行動の起点」にし、欲求の達成を「目的」と置く。

例えば3大欲求でと言われる「睡眠欲」「性欲」「食欲」を感じ、それらを満たすことを目的として、例えば「食欲」を満たすのであれば、手段としてご飯を食べる。

 

このような様々な欲求を起点として目標を作り出し、目標に向かって邁進するのが我々だ。ジュースを買うような些細なことから、希望の企業へ入社すること、プロジェクトを成功に導くこと、人生に置いて何かを為すことまで、全て、この欲求→手段→目標達成というフレームの中でなされ、我々はその繰り返しの中で生きている。

 

そしてこの目標達成に向けては、ざっくり量と質の掛け算になる。

どれくらいの時間を、どのようなクオリティを持って投じたのか。

当然より多くの時間をより高い質で投じた物がもっとも高い成果を得る。

 

目標達成の数字を仮に50と置いたら、2の量を3の質で繰り返す人より、

1の量を10の質で行う人の方が早く目標達成できる、それはそうだろという話だけど。

そして人生は様々な目標がパラで動いているため、自分の持つ時間を、それぞれの目標において自分が出せる質と付き合わせて、どう投資すれば「目的」にかなうベストミックスになるかを大なり小なり考えながら動いている。

 

ここから本題。

近年、自分が触れることが多いのが質の話。

どれだけ質をあげて、投入時間を短く減らすか、という話が盛んになされ、その上で大切なのが、頭の良さ、だから頭の良い人が優秀だという話になる。

だけど、自分が本当に大切なのは、エネルギー量だと思う。

 

確かに、地頭が果てしなくよく、なんでもすぐに最適解を出す人は一部いるけれど、

我々の多くは後天的に頭の良さを磨いている。

この人すごい頭良い!!と思う人も蓋を開ければ、自分より1つ2つ多く物事を考えているに過ぎなかったりする。

つまり自分でもよく考えたらその答えを出せたりするのだ。

そういう人は1つ2つ物事を深く考え、そしてそれを自分よりずっと前からやっている。

そしてその結果は行動量によって作られている。

 

頭の良い人は、頭の良い人になるために、たくさんのエネルギーを使ったのだ。

そりゃ、そうだよねという話だけど、頭の良い人になるために、人よりたくさん思考訓練をして、常に人より多く考える。その繰り返しの途上で、こちらがハッとさせられるような指摘をしている。

その繰り返しに必要なのは、エネルギー量だ。頭の良くなる方法ではなく、スポーツのように愚直に思考を繰り返す、エネルギー量だと思う。

 

エネルギー量があれば、目標達成に必要な量はもちろんのこと、

質も自ずと高まる。量・質ともに起爆剤となるのがエネルギー量だ。

 

そしてそのエネルギーを作り出すのが、意志の力、欲求の強さである。

修学旅行は寝坊しない、終電前の全力ダッシュなど、しょうもない例で申し訳ないが、普段誰も駅中をダッシュしない、ダッシュした方が早い電車に乗れてもしない、それは強い欲求がないから。危機感や強い期待からなる強い意志が高いエネルギー量を生み出し、それが質と量を担保する。

 

だから、目標に対して、自分が強い欲求を持てるようなストーリーを自分でつけてあげるのが大切だよねという、書いているうちに着地点が少しずれてしまったけど、最近感じた話。